踏んだり蹴ったり
先週,歯の根っこの治療をして2,3日痛くなるかもしれないと言われた。その日は大丈夫だったのだが翌日から痛み出した。次の治療はずいぶん先なので,どうしようもなくなったらちょっと診て貰おうと思いながら痛み止めで耐えていた。
耐えること1週間,なんとか痛みは治まってきたが痛み止めを飲み過ぎたせいかどうかは分からないが,胃の調子が悪くなってきた。まさに踏んだり蹴ったりだ。
青年は保釈後ジャックという名前をつけ再出発した。運送会社に就職し友人や恋人もでき,人助けもした。しかしある日ジャックが少年の頃「悪魔の少年」と呼ばれた重大犯だということがマスコミにばれてしまい...
出所後のジャックの生活と犯罪者になるまでの少年時代のジャックの行動が交互に描かれて,見ているものはジャックがどのような重大犯罪を犯したのかが終盤まで分からない。つまり,ジャックは更正もしているし本来悪い奴ではないということが刷り込まれるのである。
これで見る側は出所後のジャックの友人とほぼ同一の視線になる。そして実は許し難い犯罪を犯した少年だったということに気が付く。このあと自分だったらどのような態度をとるのだろうか。
犯人を許すかどうか決めるのは第三者ではなく,被害者の親族なのでと割り切って今後も付き合えるのか。あの犯人は許せないと思っていたのでその場でスパッと縁を切れるのか。想像だと限界があるので答えは出ない。
投稿者 px 時刻: 10:00
昔のことを思い出そうとしても思い出せないことが多い。高校時代にクラブが終わって家に帰ってからどう過ごしていたんだろう。家族みんなで夕食を食べていたのだろうか。その当時の家の風呂はどういう風呂だったんだろう。休日は何をやっていたんだろう等。
断片の記憶はあるのだが,日常の記憶が抜け落ちている。高校時代がこうなのだからそれより幼い頃はもっと記憶がない。しかし,こうだったよと言われるとうっすらと蘇るので,脳のどこかには残っているのだと思う。
それを自ら取り出せないのは,わざわざ取り出す必要がないという自分で制御していない働きが作動しているからなのかもしれない。
投稿者 px 時刻: 10:03
定額給付金の案内が来た。身分証明書などをコピーしなければならないのが面倒だ。コピーのためだけにコンビニなどに行き,コピーが使用中の場合を想像すると嫌になる。
今日は歯科に行く予定があったので,帰りにコピーしようと思いコンビニに行ったら嫌な予感が当たり使用中だった。すぐ終わるかなと少し見ていたのだが,コピーをしている若い女性がパチンコと携帯電話の飾り付けが好きそうな風貌だったので私の持っている偏見をフルに使い「これは長そうだ」という結論が出た。
それでも諦めの悪い私は店内をゆっくりと物色し,それほど欲しくもない物を少々購入しレジで支払いを行いながらコピー機の方向に目をやると,そいつがコピーをしながら携帯電話で話を始めていた。予想的中と思う満足感と,コピーができないという失望感で複雑な気分になった。
投稿者 px 時刻: 16:04
三ヶ月に1度の割合で置き薬の集金に来るのだが,年末に来なかった。どうしたんだろうと思ってネットでその会社の名前を調べてみると,倒産や吸収合併等の噂が書かれていた。
最後に来たときにリンゴ酢の原液を3本置いていった。これは1本2リットルぐらいで7000円程度するので最初から飲む気がなく,文字通りの置き薬。年末に返そうと思っていた。
倒産したのならこのリンゴ酢を飲んでしまおうかといういやらしい考えが脳裏に浮かんだが,好物というほどのものでもないし,移管された会社が訪れたら金を払わないとならないので手を付けずにいた。
この様なことをすっかり忘れていたらいつものように集金の電話がかかってきた。リンゴ酢を飲まないで良かったとホッとしたと同時に,年末に来なかったのはリンゴ酢を飲ませるための作戦だったのかなと勘ぐってしまった。
投稿者 px 時刻: 16:31
野球を見に行ってボールが眼に当たり怪我をした男性が訴えた。プロレスの場外乱闘に巻き込まれるのと同様で,そういうのが嫌な場合は,その様な事態に遭遇する確率の低い場所で見るのが観客としての心得だと思う。
例えばLiveの時,私はもみくちゃになるのが嫌なので,早く着いても後方の場所を確保してそこで見る。しかし避けられない事がある。それはアーティストと一緒に歌う人が近くにいるかどうか始まるまで分からないことだ。
スペースがあれば別の場所に行けば良いのだが,あるLiveで客の9割り以上が最初から最後まで歌っていて辟易したことがある。それ以来そのアーティストのLiveには行っていない。
投稿者 px 時刻: 13:23